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「伝国の杜」置賜文化ホール・上杉博物館

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ガイドブックを見ると、

山形の県名は、「やまあがた=山のある地方」と呼ばれていたことが由来とされている。とあった。
テレビの天気予報では山形県内の予報範囲は4箇所に区分されていることにも気づいた。
大きな括りとして、北の日本海側から内陸部の南にかけての地方名、エリア区分は、
「庄内」、「最上」、「村上」、「置賜」となっていた。

最上川の流れを中心に地形的に構成されたエリア区分は気候的にも明確のようで、
上流部の置賜盆地や村上盆地、最上川の中流部を経て日本海側の庄内平野に至るというものだ。
この置賜エリアのほとんどが、米沢市を中心とすることでわかるように、江戸時代の上杉米沢藩である。
バスガイド嬢によれば、「おしょうしな=ありがとう」という方言などに見られるように、
山形県内でも独自の地域文化を形作っているとの説明だった。

ガイド嬢の説明は続き、米沢藩の象徴である「上杉」とは・・・、
なんと、彼の「上杉謙信」ではないというではないか。
上杉謙信は米沢の地に居たこともなく、来たこともなく、直接の関係はないということだった。
なんということか、正に・・・、
これまでの適当な歴史観、大きな勘違いに気づかされ、認識を新たにしたのだった。
博識のガイド嬢、ページをめくるように歴史の記憶をつづり、熟知した時の為政者を次々に紹介、
いよいよファイナリストの登場かぁ~。(まるでバスの車内が寄席のような趣だぁ~。)
破綻寸前の米沢藩を救った立役者は上杉鷹山(ようざん)であると熱く語り締めくくったのであった。

写真の右にあるように、館内展示の「なせばなる 鷹山登場」のコーナーは上杉博物館の重要な部分で、
説明絵図の大枠は、「精神の改革」、「産業の開発」、「財政の再建」と三つの分野でくくられていた。
大規模な緊縮財政、漆・桑などの大量植樹、製紙・織物などの産業開発による殖産興業政策など、
大規模な藩の財政復興に尽力したことなどが説明展示されている。
座右の銘、教訓として知られる、
「なせば成る、なさねば成らぬ何事も、成らぬは人の、なさぬなりけり」も鷹山公の残した遺訓と知った。

伝国の杜(でんこくのもり)は、松が岬公園(米沢城址)に隣接する高校の移転跡地に建設された。
城址周辺の一帯は城下町の歴史、風上の漂う観光名所として景観形成重点地区となっている。
公園内の隣、松岬神社には座する上杉鷹山公のブロンズ像があった。
その側らには米沢松岬ライオンズクラブによる素朴な説明版があるが、
「米国大統領・JFケネディは政治家で最も尊敬する人は上杉鷹山公であると述懐した」とあり、
またまた驚いたのであった。

And so my fellow Americans,
Ask not what your country can do for you.
Ask what you can do for your country.

それゆえ、わが同胞、アメリカ国民よ、
国家があなたに何をしてくれるかを問うのではなく、
あなたが国家に対して何ができるかを自問してほしい。

ケネディ大統領の就任演説にある有名な一節である。

鷹山公は35歳で重定の子治広に家督を譲った時に、次の三カ条を贈ったという。

・ 国家は、先祖より子孫へ伝え候国家にして、我私すべきものにはこれなく候
・ 人民は国家に属したる人民にして、我私すべきものにはこれなく候
・ 国家人民の為に立たる君にて、君の為に立たる国家人民にはこれなく候

これは「伝国の辞」と呼ばれ、上杉家代々の家訓となっているそうだ。

藩主は地域共同体の親であるとする鷹山公の教えはわかりやすいもので、
基本姿勢を次の「三助」とした。

・ 自ら助ける「自助」
・ 近隣社会が互いに助け合う「互助」
・ 藩政府が手を貸す「扶助」

ケネディの就任演説の内容だが、鷹山公を知るか知らないかでは受け取り方が大きく異なるものだ。
少なくとも、いや、少なからず、いやいや、これは確実に、と信じるのだが
鷹山公の語る「三助の精神」は米国大統領の政治姿勢に大きく影響していたように感じる。

冠詞になっている「伝国の杜」の意味が解けてくると同時に施設の意味もわかりやすくなった。
公共施設としての「伝国の杜」は合体建築、合築施設である。
山形県立の「置賜文化ホール」と米沢市立の「米沢市上杉博物館」という異質の芸術文化施設である。
ここでも、鷹山公の「三助の精神」が活かされ、
単独施設にはない相乗効果を期待した、展開させた「県」と「市」の取り組みとして理解できる。
その、その取り組みの最たる仕掛けが「能舞台」である。
本物の、木造の優れた建築物としての能舞台が博物館側の入り口正面に展示されている。
いや、入り口正面の展示空間となっている。
驚いたことに、能舞台の時、能が演じられる場合にはホール側に「建築物」が移動するというのである。
博物館側に向いた能舞台が二時間をかけてホールに移動するということであった。

内部空間の充実、施設の細やかな仕掛け、効果的かつ有効な工夫。
こういった内容の一つ一つを理解していくと展示品の見え方もおのずと違ってくる。
博物館の展示品の最高峰、国宝の「洛中洛外図」も見え方が違ってくる。
修復を終えて実に美しく輝いている。
さらに、映像コーナーではバーチャルリアリティ、三次元の映像に変換され、立体化されているのである。
失われた、輝ける美しき日本がそこにはあった。
優れた為政者のなした業績への賛辞、さらに実績と成果への褒美として代々輝き続けているのであろうか。

ヘェ~・・・、ホォ~・・・、ウホォ~・・・、ウォ~・・・!
発見が理解へ、驚きが興奮となり、さらなる興奮が感動となった。ウゥ~ウッ・・・、かなり興奮ぎみかも。
しかも、博物館内の展示室は写真撮影が自由である。これもまた、さりげなくうれしかった。
展示された模型などが実に見事だったので記録としてほしかったのである。
茅葺民家の周囲を取り囲む田畑の景色、牛や馬の行き交う情景はもはや記憶の中の風景となった。
米沢の、山形の、東北の、・・・日本の原風景だったんだよネェ~。つくりあげたんだよネェ~。
いやぁ~「上杉鷹山」だなぁ~、鷹山公に関する原書、彼の教えもじっくりと読んでみたいものだ。